誰もやらないと思うので代わりにチョコパイモーツァルト工作しました
絶対にいないんだから。誰一人として。
いないんだから、だからせめて僕くらいは作らなきゃならんだろうっていう使命感ですよね。
何がってチョコパイが公式でやりがちな箱工作の事よ。
分かる。暇を持て余していても普通はやらない。何かの組織に何かを投与されて、まともな感覚を失っていたとしても歯を食いしばってこれだけはやらない。
ただそれだと余りにも寂しいじゃない。
単なるチョコパイサイドの自己満足と言えど、そのまま資源ゴミにぶっこんで終わらせたら寂しいじゃない。
やろうじゃないですか。僕がみんなの代わりにやろうじゃないですか。
今回使用するお菓子の箱
今回のお菓子の箱はこちら。
チョコパイザッハトルテチョコパイと奏でるハーモニー ゆかりの地ウィーンの味モーツァルト編。
どういう味?
「それ何味?」
って言われた時に「チョコパイと奏でるハーモニーゆかりの地ウィーンの味モーツァルト編」とか答えたら酸ぶっかけられるでしょ。カバンから酸取り出してぶっかけられるでしょ。
シンプルにチョコパイザッハトルテ味でいいのに。
ザッハトルテ風のチョコパイを過剰にオーストリア形容しないで欲しい。オーストリア形容禁止。
因みにこのチョコパイザッハトルテ味ですが、個人的には通常のチョコパイの方が好きでした。チョコが濃いのが好きな人には良いかもしれませんね。
箱の裏側を見るとこのように描かれています。そうです、今回やりたいのはこれです。
チョコパイの箱はこのように工作可能なパッケージになっている事があって、悲しいなっていつも思ってたんですよ。誰もやらないのに悲しいなって。
まるでモーツァルトの演奏会を聞いているかのようなワクワクした疑似体験を工作して楽しもう!
消費者甘く見られてますねこれ。これで演奏会を聞いているかのようなワクワクを得られる生き物なのだろうと思われているんですよ、我々は。戦争だよこうなったら。ウォーツァルトだよこんなもん。
内側を見るとこう。ふざけやがって。この時点で分かるよ。演奏会を聞いているかのような疑似体験は得られないって事くらい。
こいつがどうやら主役のモーツァルトさんらしい。なるほど、モーツァルトはカラーですか。ほーう。
確かにこの国にはカラーすごーいって時代がかつてあったらしいな。それは聞いている。
映画が、写真が、テレビが、次々カラーになり感動を与えてきた。
僕自身もゲームボーイがカラーになった時は「もはやボーイではない」と思ったもんだ。
だが、このモーツァルトがカラーだからって、同等レベルの感動を与えられると思っているのなら大間違いだ。
箱を切りまくる
まずは手順通り箱に2箇所ハサミで切り込みを入れる。するとどうでしょう、鍵盤が出現したではありませんか。
ん?ってあれ?演奏するのこっちサイド?こっちがモーツァルト設定?
次にカッターでここのさしこみパーツを切り離します。ここにも書いてあるけど、これさっきのカラーモーツァルトだから。
そうだよな。やはりモーツァルトはこちらではなく別にいるって事だよな。モーツァルトはモーツァルトであって、こっちサイドはあくまで演奏会を聞いているかのような疑似体験サイドの筈だから。
鍵盤出されてっけど、セッションみたいな事ではない筈だ。演奏を聞きに来ただけだからこっちは。
切り離されたピアノとモーツァルト。嫌な予感しかしない。
手順を確認するためにひっくり返して裏パッケージ見るんだけど、進めば進むほどボコボコになっていくから読みにくい。疑似体験も楽じゃないですね。
だいぶ進んで来ました。指揮者や演奏者、そして舞台がせり上がる仕組みになっている。これが臨場感っていう事か。
さあ、そして最後にここの★マークの切り込みにピアノとモーツァルトを差し込んで完成です。「モーツァルトを差し込む」って行為、多分このチョコパイに出会っていなければ絶対にやらなかったよね。
これは自慢できる経験だと思うよ。
「モーツァルトっているじゃん?俺、そのモーツァルトを差し込んだ事あるんだよね」
「は?え?モーツァルトを差し込む?何の話?どこに?」
「★マークんとこに」
人生って不思議。
いよいよ完成
さあ、差し込みましたよ。どうですか、白黒な世界に舞い降りたこのカラーモーツァルトの臨場感溢れる御姿。全体像がどうなっているのか、ワクワクしますよね。
さあ完成した全体像をご覧ください。
ワカラン。
どういう状況?
どういう状況を作り出してしまったの?